昔、人は、食すという事をとても大事にしていました
伊勢神宮内宮御饌殿
食すことは命をつなぐ大事な行為とみなし「天の恵み」を頂くとして感謝していたのです。
食と神は、同一線上にあったということがいえるでしょう。

大 嘗 祭 と謂われる食の祭典を伊勢神宮が司(つかさ)どり、天皇とともに行われたのも、生命を支える食に対しての敬虔な気持ちの現れであり、国をまとめていくのにも、必要な行為だったのです。

今 飽食の世になっても、このような想いは、失ってしまってはいけないのではないのでしょうか。
食文化というものを考えた時、食は人のファクターを形成するといわれます。

よく各国独自の食事を、その国の人間性をあらわす比喩として用いたりしますがやはりそれは、その国独自の料理が、その国の文化・人間性を形成するファクターであることを本能的にわかっているからではないでしょうか。

人を形成する重要な要素として、食を捉えるならば、その食のこだわり・歴史・携わった人の想いをないがしろにするわけにはいかないと思うのです。

想いをこめてつくられた食を、想いをこめてお渡しすることで、食を楽しんでいただくの行為の積み重ねが食と人との間に文化を生じさせているのではないでしょうか。

高級食材にこだわるとか、その場限りの流行に流されていくのではなく、本物の命を生み出す源となる食について、こだわりつづける事は、必要だと思うのです。

健康志向・和食志向が台頭してきているのもまた、よい意味での食へのこだわりが大事なものだと気づいてきたからではないでしょうか。

かつお節を削るということが日常ではみかけることが少なくなりました。
かつお節でだしをとる人も少なくなってきました。

しかし、「かつお風味」「かつおの旨味」などの言葉が宣伝文句として使われ購買意欲がかきたてられるのは、私達が、日本人だからなのだと確信しています。

日本人としてのファクターの一因に、またかつお節も古来よりかかわってきたからなのだと勉強もいたしました。

「波切節」(かつお節)の歴史を知って行く過程で、人とかつお節の深い結びつきを途絶えさせてはいけないと、痛切に感じました。