世が戦国時代へと移り変わる中「堅魚」は、その保存食を高め、戦国武将達にとってなくてはならない携帯食として普及していきました。

戦国時代の織田信長は鰹好きでよく知られています。
この為、岐阜城での近隣の武将をもてなす席には度々、生鰹が出てきました。
また、勝男武士と語呂合わせできるため、戦勝祈願の縁起物として 鰹節を珍重した事は言うまでもありません。

さて、この鰹、鰹節はだれが調達した物でしょうか?
当時、鰹を捕る外洋を納めてた領主で信長の家来と言えば、この地を治めていた九鬼嘉隆に他なりません。

九鬼嘉隆は「まるてん」のある波切の出身で、この地を治めていました。

九鬼氏の居城は当初は波切城でしたが、後に加茂城が居城となり、嘉隆の生まれた波切城は重要な出城として残る事になりました。
この様に、九鬼氏の領地であるこの地から生鰹、鰹節が岐阜城まで運ばれていたわけです。

当時、鰹の捕れる外洋から一気に伊勢湾を通り長良川を遡れる安宅船を嘉隆は持っていた事が伺えます。

同時に織田氏自身が忌部氏の出身とも言われており、信長の祖先自身が鰹に親しんでいた事は言うまでもありません。