「お伊勢さん」と親しまれている伊勢神宮は倭姫命(やまとひめのみこと)が 「神風の伊勢の国は常世の波の敷浪の帰する国、方国の美し国なり、この国におらんと欲す」との 天照皇大神の御神託により、伊勢の地に住まわれる様になりました。

さて、常世に近いこの地の接点は何処でしょうか?
実はまるてんの在る波切に他なりません。
波切神社には常世の神様である「伊弉諾尊」が奉られ、同時に奉られている「葦夜神」は この世と常世の世界を結ぶ「よもつ平坂」に在する神様として知られています。
同時に、お隣の名田には天真名井神社があり、海の神様で在る素戔嗚尊と天照皇大神の 接点の地でもあります。

実は、この波切は古くから伊勢神宮の重要な御食地(みけち)でもありました。

大晦日から元旦にかけ、名乗り神事、しめ縄きり神事などの祭りが、この波切りで執り行われます。
古くは、伊勢神宮外宮の禰宜家である出口家が執り行っていた様で、現在も名乗りに使う提灯には「出口御山神」の名が記されています。
 



さて、伊勢神宮の社には鰹木と呼ばれる物が有ります。
その昔、鰹を屋根の上に干して乾燥させた事に由来するとも言われており、神聖な物として扱われたようです。
神様の中には一般庶民が鰹を屋根の上に干していたため、神聖な物を真似たと怒った神様も有ったそうです。
「和漢三才図絵」等には、古来かつおを堅魚として、天子の食膳に供したという記述が残っています。
この時、天子が大いに喜び、次からの献上品として、要望したとも記されています。
これを裏付けるように、平城京の跡から発掘された木簡には堅魚を献上した名錐(波切)の名前が 記されています。

 この時、かつおを堅魚にしてとの記述があることから、かつおが生状態ではなく、何らかの加工状態・日持ちのする食品となって、献上されていた様です。

古来のかつおがそれだけ、貴重なものだったのでしょう堅魚木信仰等も、このあたりから出てきたのではないでしょうか。
ちなみに 住吉大社5本、出雲大社5本、伊勢神宮内宮10本・外宮9本の堅魚木があります。 あなたの近くの神社にもあるかもしれません。探してみて下さい。