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万葉集に多くの歌を残す大伴家持の歌にも「御食つ国」としてこの地が登場します。
波切は古来「志摩国志摩郡伊雑郷魚切里」と呼ばれ、大伴氏の領地であっただけではなく、伊勢神宮の御饌(みけ)を司る「伊雑宮」の領地として手厚く保護されていたようです。
「魚切」(なきり)と呼ばれるように当時から魚を加工していた事が伺えます。
当時、志摩国は伊勢の国司が納めており、万葉歌人である大伴家持も伊勢国司を経験しております。
万葉集には志摩の歌が多く、その殆どが「伊勢」と一括りに詠われています。
例えば「伊勢の島津」と言えば「伊勢国司が治めた志摩の海」、「伊勢の海」と「鮑」、「鮑玉」(鮑から捕れる真珠)、白玉(あこや貝から採れる真珠)、「海松」(みる)が詠われた歌も志摩国を詠った歌で、その殆どが魚切里が産している物を詠った歌です。
(注:鮑、海松、鮑玉、白玉は伊勢湾では採れず魚切里、後の名錐郷が朝廷へ朝儀として納めていた物です。)

「まるてん」店主の姓でもある「天白」とは北極星を表す「太一」、
金星を表す「太白」の総称で、
天白は忌部氏(後の斎部氏・伊勢神宮の宮司の家系)の一人、
「天白羽鳥命」とも言われております。
この地方の「天白」は古くからお伊勢さんに関わってきた人の末裔でもあるわけです。
実は
金星を表す「太白」ですが、志摩には祭られておりません。
この「太白」ですが、伊雑宮が米に関係している所から日本に稲作を持ち込んだとされ、
中国では倭人の祖先と言われる「呉の太伯」の事ではと思われます。

また、当地の名産である「手こね寿司」(漁師寿司)も天平年間には
「志摩 堅鰹鮨 近代鮨」
(二条大路出土木簡)と呼ばれ、古くから食されていたようです。
この様に、この地の食文化が京の食文化に与えた影響は多大な物でした。
古くからの京の伝統料理には、志摩の鰹は欠かせない物となっていたわけです。
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